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七夕更新

 投稿者:伊井暇幻  投稿日:2013年 7月 7日(日)09時23分51秒
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  今期の七夕更新は次の通り。

228.処女懐胎:伏姫が処女懐胎する意味を探る。卵子は到達してきた最初の精子を受け容れた直後、その他の精子を拒絶し始める。このメカニズムは、母なる者が配偶者ではなく、胎児と排他的な関係を結ぶこととパラレルである。生理上、母は子と排他的に結び付く。配偶者は、生命発生の契機を与えるに過ぎない。しかし子どもの遺伝子は半分、配偶者のものだ。子どもは、個性によって特定される何者かの性格を受け継ぐ。そして子どもは個性を有ち、外ならぬ特定された個人となる。特定個人としての子どもと排他的な関係を、母は結ぶ。裏返せば、母は子ども以外の者を排除する。此の意味で、普く開かれた門/観音菩薩のような【万人の母】は存在し得ない。但し、卵子をして新たな生命たらしむるものが、全く無個性で、ただ生命そのものとしかいえないなら、如何か。八房犬は玉梓の後身であるが、そもそも犬となった時点で応報は完了しており、玉梓ではなくなっている。あくまで八房であるに過ぎない。しかも八房は、富山で伏姫の読経を聴くうち、浄化される。成仏とは、現実界に生きる上で必然として身に負う穢れを、全く浄化されることを意味する。ならば、八房が死ぬ前後、玉梓が成仏したとは、玉梓/八房が、俗垢/個性を全く払拭され、仏のように清浄な生命そのものになったことを意味する。結局するところ、伏姫が授精した八房の生命は、玉梓としても八房としても個性を払拭された無垢な生命そのものであった。処女は万人に開かれている。しかし個性ある配偶者を得て、何者かの妻として、新たな生命を孕むことは、其の何者かと繋がることである。しかし其の「何者」かが、全く個性というものを有せず、生命そのものであれば、如何か。個性によって特定されず、万人に共通する生命そのものと繋がれば、其れは特定者ではなく万人と繋がることと等しい。いまだ誰かに拘束されず、万人に開かれた処女が、生きとし生けるもの総ての子を孕む。もとより伏姫は、八房と肉の交わりを行わなかった。其れが故に肉体は「処女」の儘であった。気は相感した。しかし、気の相感も、個性を以て特定される次元ではなく、全く無垢な生命そのものとなった八房との間に行われた。八房と特定すべき存在ではなく、生きとし生けるもの総てと置換可能な、生命そのものと相感したのである。気の側面に於いても、万人に開かれているという意味で、伏姫は処女の儘であった。何処かの家に、誰かの妻として組み込まれるのではなく、ただ処女と同じく万人に開かれた状態のまま懐胎し母になる。出自による敵/味方といった関係性から全く自由に、万人を包み込む普門の菩薩/観音になるための必要条件だ。
229.命を託す死:八犬伝の原理/天理に於いて善は、【生命を愛し愉しむ】ことだ。にも拘わらず、善玉ほど容易に命を投げ出しているようにも見える。一見すれば矛盾に思える善玉の死は、個に閉じ籠もる生命を前提にしては理解できない。親子もしくは相感した者同士で、生を託す者こそ、容易に命を投げ出している。「容易に命を投げ出」してはいるが、其れは消滅を前提としているのではなく、誰かに自らの命を託す行為であった。個という煉獄/独房に閉じ籠もるのではなく、受け渡し可能な生命の繋がりが、前提として浮かび上がる。生命の受け渡しが可能だとか、そんなことは科学では証明されていないし、現時点で科学は証明する能力もあるまい。但し、証明できないからと云って、神ならぬ身で、仮説が間違っているとも断言は出来やしない。もとより、人は事実そのものではなく、事実を如何に認知するか如何に受容するかで動く。例えば我が子を抱くと、此の生命が自分由来であるとの確信から、様々な妄想が湧く、恩愛が生じる。妄想こそが人を動かすとの側面は、なかなか否み難い。人は、他者とさえ繋がり得ると思い込みたいものだ。だからこそ現代政治/安手の詐術が、罷り通っていたりもする。震災復興だ絆だと新たな税を設定したり増税したり、無関係としか思えないことに金をバラ撒いたりしている。そもそも個々分断するならば、国家が存在する意味も徴税の意義も無い。個々分断せず、群れるなら群れるで、其の群れは如何な原理によって統合さるべきか。馬琴は八犬伝の原理として、善を【生命を愛し愉しむ】ことだと規定した。其の上で、善玉は容易に命を投げ出す。投げ出すが、捨てるのではなく、受け渡す。互いの生を価値あるものだと認め、個々分断せず繋がり得るし受け渡しが可能だと確信しているからこそ、「容易に命を投げ出す」/【命を託す死】が成立する。【生命を愛し愉しむ】原理と矛盾は生じない。馬琴の標榜する「勧善懲悪」の背景である。

http://lovekeno.iza-yoi.net/inu_ind.htm

 
 
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