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馬琴忌更新

 投稿者:伊井暇幻  投稿日:2012年11月 6日(火)02時34分45秒
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  今回の馬琴忌更新では、「ぽっちゃり可愛い小文吾が実は性悪?」「天は個人と繋がる」「天なるかな命なるかも」の3本を追加しました。
「ぽっちゃり可愛い小文吾が実は性悪?」悌犬士であり理念上は末弟である小文吾は、商人に化け愛嬌を振りまいたりしているが、実のところ地回りであった。民間に在って、圧倒的暴力を背景に庶民の争い事を裁いたりしていた。ただ単に可愛らしいだけではなく、性悪説を採る荀子の系列であった。
「天は個人と繋がる」そもそも天命とは何か? まぁ実際には知ったこっちゃないんだが、八犬伝に於いて頻出する語句であり、重要なものであると目せる。天の命ずる所、である。しかし例えば論語・為政の記述「五十而知天命」を素直に読めば、文脈に従う限り、【天の摂理】ぐらいの意味だ。即ち天が万人一律に下す命令である。此のとき、人は顔の無い大衆/Massとして扱われており、当該箇所は、聖人君子の生涯をモデル化したものとなり、孔子の個人的な述懐ではない。宋学までの解釈だ。しかし何時からか、此の章句は、孔子一個人の生涯を振り返ったものだと解釈し直された。即ち、天命を、孔子個人の運命・宿命と考えるようになったのだ。八犬伝でも概ね、天命は、運命・宿命の意味で使われている。こうした用法は遅くとも、朱子学と対峙した、伊藤仁斎や荻生徂徠に見られる。八犬伝は、程子や朱子の云うような「天命」を採用していない{但し現在までには朱子学流も天命を運命と捉えるようになっている}。儒学に於いても、天や聖人は人間一般と隔絶したものではなく、寧ろ個々人と繋がるものへと変化していった。
「天なるかな命なるかも」八犬伝に於ける「天命」は概ね、運命の意味で使われているが、一定地域の支配権を与えられることや天の摂理を意味する場合もある。しかし以前から云っているように、儒学は八犬伝の上部構造に過ぎない。基底には仏教や民俗神道が流れている。そもそも八犬伝の主宰者もしくは預言者といえば役行者だが、彼こそは仏教と民俗神道が混淆した場所に屹立する、神変大菩薩であった。儒学に於ける「天」は、中国民間信仰/道教を通じ、仏教に於ける天部{四天王}や民俗神道の天いまで繋がっていく。神仏儒道の豊かなる混淆である。

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